これが頻度を増すと、いわゆる”問題社員”ともいうべきレベルになり、逆に本人も開き直って誰に聞かれようがお構いなしに自分の会社を批判しまくります。
こういった批判は、建設的なものではなく、大抵は不遇な自分を引き立てるため人を見る目がない会社であるという前提のもと感情にかまけて喚き散らすようで、周囲も嫌な気持ちにさせます。
何しろそういう人は、大抵は役職でもなく、また社内の重要人物とも疎遠ですから、情報はごく限定的なものなのでしょう。
大した裏事情も知らず、正論をかざす姿は滑稽を通り越して哀れみすら感じます。
逆に裏事情通を自称する人もいます。実は会社は今のような施策を取っているのは、〇〇専務が△△社と通じているからだ。専務引き抜きの話もある。いや、国が動いている。などとこちらはこちらで、池井戸作品の読みすぎではないかと思えるほど想像力豊かでちょっと聞いている方も辟易します。
そこまでの情報を知っているならなぜ、そのような低いポジションに甘んじているのか、と皮肉を込めて聞かれると、待ってましたとばかり会社批判が始まります。
私は、こういう人たちが不思議でした。そんなに会社が嫌で才能があるなら、さっさと退職して自分を評価される世界に身を置けばいいのに、と。
しかし今ゆっくり振り返ってみると、こういった人たちは、大概は定年まで会社に残っていますね。しかもその後は恐ろしく老け込んでいます。
実は彼ら彼女らは愛社精神が強すぎるあまり、自分の理想と乖離していくざまが許せなかったのだ、批判し続けることが生きるエネルギーになっていたのだと気づきます。
本当に実力がありながらも現状に不満を持つ人は、黙って仕事しつつ、ある日突然、立つ鳥跡を濁さずで会社を去っていくものですね。