相次ぐ将軍の死でいまだ安定しない鎌倉政権を攻め落とすチャンスと見て、京の後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を全国の武士に飛ばします。朝廷からの宣旨に東国の御家人たちにも動揺が走ります。ここで政子が「鎌倉殿の山より高く海より深い恩を思い出して!!今こそ一致団結!!」と大演説をぶるわけですね。御家人たちは団結し、朝廷方を打ち破ります。北条執権体制は義時の子、泰時に至り盤石に。政子の演説は、建武の新政期を除き江戸時代まで続く「武家政権が完全に朝廷の上に立つ」ことになる礎ともいえそうです。
さて、私は初期の鎌倉政権では大江広元に興味があります。当時の中心地である京の官僚であった大江が、鎌倉に下向して源頼朝、北条義時・泰時親子のもと、荒くれの東国武士にまみれて大いに力を伸ばしていく様は一種異様ですらあります。もちろん、京のしきたりや学問の造形に深かった広元が実力を発揮したのでしょうが、老舗である朝廷を出て、いわばベンチャーである鎌倉で一旗揚げ、京に一泡吹かせたというのは、胸のすく思いを与えてくれませんか。
早期退職して楽しい生活を送ることで元の会社に趣旨返ししたようです。ちょっと強引ですかね。