「老害」という言葉が出てきて少し経つような気がしますが、高齢化社会が進み、老害は政治経済界、地域社会や家庭内にもはびこり、もはや見慣れた風景とさえいえるのかもしれません。
老害の定義も難しい側面がありますが、おおむね、いつまでも自分の地位を譲らず後進の成長を妨げる、頑固に自分の(古臭い)考えを押し付け譲らない、といったことが挙げられるでしょうか。
もちろん、柔軟性のある老人もいますし、後進を育てるため、あえて出しゃばらずそっとサポートに回るような人もいます。しかし、あまりミクロな事例を検証しても意味はありません。
老人というのは引き際を見事に決めてこそ、「さすが」と周りに思ってもらえるものではないかと思います。
老害を振りまく老人に限って「老人とか若者とか関係ない。実力だ。」「自分にしかできない。年齢は関係ない。」などと宣います。しかも厄介なのは、老害を振りまく本人は自分の害悪には全く気が付かずすべてうまくいかないのは「自分以外の責任だ」と思い込むのです。
特に一代で大会社にまで築き上げた企業トップに見られますが、老境に差し掛かると自分で後継者の候補を連れてきます(自社内から引き上げることもあります)。この辺は、「やはり去り際を考えているのか。さすがかっこいいな。」と思うのですが、しばらくするといつの間にか会長や社長に戻っており、後継者だった人をけちょんけちょんにけなします。よくありますね。なんだかすごく残念ですよね。自分の眼力を恥じることなく、やっぱり自分しかいない、と出ていく。
会社に対して余人の理解を超えた深い思い入れがあるのは分かりますが、これじゃあ、育つ人も育たないですよ。会社組織にしている以上、大株主ではあっても会社は私物じゃありませんからね。
そういいながら、老人には多くの経験があることも事実です。失敗を繰り返させたくない、という親切心もあるでしょう。
それでもやはり、早めに後進に任せるべきです。多くの人にとって難しいことだとはわかっていますが。