私は、今の自分の状態を「FIREした」と言うことはほとんどありません。
正直たまに使いますが、何だかしっくりはきませんね。
それはやはり、本家アメリカとは社会保障やベネフィットを得る方法など社会背景が違い過ぎるからだと思います。社会保障がしっかりしている日本の方が、ある意味「FIRE」はしやすいのではないかと思います。
うまく言えませんが、アメリカの方がFIREには何か特別な感じがあります。「20代で会社を売ったった!あとは一生暮らせるぞ!キャッほー」といった一発当てたアメリカンドリーム的なものです。まあ、実際にはアメリカと言えども多種多様で、単なる偏見かもしれません。
一定のお金を貯めて経済的な不安を無くし早期リタイアを敢行する、という目標は同じですが、日本ではストイックに節約生活を送る、ポイ活をする、インデックス投資にコツコツ励む、というアプローチをされる方が多い。私もこれを実践してきました。
もちろん資金計画などはしっかり計算しますが、どちらかというと計画も保守的ですね。少し足りないくらいでリタイアしたが、むしろリタイア後に資産が増えた、という方も割とおられます。4%の運用理論にこだわらず、贅沢はできないが健康で豊かな気持ちでゆっくり暮らしたい、私が思うに日本ではこう考える方の方が多いのではないでしょうか。
何かこれに比べると、FIREという言葉にはアメリカ的な拝金主義・合理主義を感じてしまい、少し冷めた気持ちになるのです。
ちょっと自分でもステレオタイプに過ぎるかな、とは思いますが、「サイド、リーン、バリスタFIRE」などいろいろ派生してきたり、最近では「FIRE卒業」(FIREを卒業するとか、意味わからん!)などというワードが出てきたり、ちょっと混とんとしているように感じます。
私は、日本でこれまでの早期退職された先人の知恵を拝見しながら静かに暮らしていきたいと願っています。